カテゴリー別アーカイブ: 大学職員の仕事術

大学職員の出世において教学・法人のどちらが有利かという考察

組織の中で働く者にとって、出世とは日々意識せざるをえないものでしょう。それは大学職員とて例外ではありません。「俺は出世には興味はないよ」などと出世第一主義に鼻白んでみても、自分だけいつまでも肩書が付かないのは寂しいものです。

大学事務職員として一定以上の出世を狙っていくのであれば、大学教員や学生との関わりが多い教学部門よりも、人事や経理をはじめとする法人部門で仕事に励むのが効率的です。
もちろん、教学であれ法人であれ出世のための努力は必要ですし、日々の頑張りが認められれば教学部門でも出世は可能です。大学によっては慣例的に教学事務のトップを事務局長へと昇格させているケースもあるでしょう。また、学長が理事長を兼ねる一長体制の大学においては、少し状況が異なるかもしれません。
しかし、一般論として教学と法人のどちらが出世において有利かといえば、それはやはり法人部門のほうがベターであろうという理由がいくつもあります。

《理由1》事務職員の人事は法人に決定権がある

法人部門のほうが出世に有利である第一の理由は、事務職員のプロモーションは法人に決定権があるということです。その一方、教員人事は教学に決定権があり、法人と教学はそれぞれの人事権に対して不可侵の関係にあります。
このため、教学部門で働く事務職員がいかに教員から評価されようと、教員は当該職員のプロモーションに関わることができません。また、教員からの評価と上司からの評価は一致しない(場合によっては正反対もありうる)ため、よかれと思って頑張っているわりには評価につながらないというケースも少なくありません。

《理由2》教学は職員数に対してポストが少ない

大学のユニバーサル化(大学全入時代)の影響から、昨今では学生サポート系の部署がどの大学でも増えています。このため、ひと昔前よりも教学部署が増えつつあります。
しかしながら、伝統的な大学組織における教学部署と言えば、その筆頭格は教務部と学生部でしょう。極端な言い方をすれば、教学部門には教務部と学生部さえあれば最低限の業務をこなせます。
それに対して法人部門は、経営管理・人事・財務・調達・総務・システム・施設・秘書など、業務内容ごとに組織が細分化されています。部署数が多いということは、管理職ポストも多いということです。
そして、法人部門のどの部署よりも、教務部と学生部は職員数が多いのです。教学部門は職員数が多いわりにポストが少ないと言えます。(ただし、冒頭で述べたとおり、教学部門の部署が増える傾向にはあります)

《理由3》教学に関する知識やスキルをアピールする機会が少ない

教学部門の業務は大学運営において非常に重要です。教務部が無ければ授業を行う教室の割り当てもできませんし、時間割を組むことも定期試験を実施することもできません。学生部が無ければ学籍を管理することもできません(学籍を管理できなければ授業料の集金もできません)。
しかしながら、法人にとっての最大の関心事項は、学生募集と当面の資金繰りです。これらを軸に経営計画を策定し、収支の帳尻を合わせるのが法人の役割とも言えるでしょう。教学部署の業務に関しては、事務に停滞がなければ十分だという程度の認識です。このため、教学部門で知識やスキルを蓄えても、法人上層部にアピールする機会が少ないのです。
教学部門で人事評価を上げるならば、補助金要件に精通することが一つのポイントになるでしょう。上述のとおり資金繰りは法人にとって最大の関心事ですから、収入増への貢献は高く評価されるでしょう。

《理由4》法人の業務は成果につなげやすい

教授会は教学部門にとって最も重要な会議の一つです。大学は学部自治(学部のことは学部で判断する)の文化が根強いため、教授会の承認が得られなければ、一歩たりとも前へ進むことができません。専任教員が集まって議論する場は教授会しかなく、おそらくどこの大学でも月1回の開催ペースとなっています(しかも夏休み期間は休会です)。
このように、教学部門の意思決定機関である教授会は開催頻度が多くないため、必然的に即断即決が困難となります。また、揉めに揉めた挙句、結果的に何も決まらないということも日常茶飯事です。結論が年単位で先送りされることも珍しくありません。
意思決定に時間がかかり、徒労に終わることもありうる教学に比べ、法人の業務は根回しを怠らなければ、トントン拍子に物事が進みます。短期間で成果につなげやすいため、人事評価でも有利でしょう。

以上、大学事務職員の出世は法人部門が有利であろう理由を4点ほど述べました。もちろん、部署による有利不利だけがクリティカルな影響力を持つとは考えていませんが、10年先、20年先のポストを考えていくうえでは、法人と教学のどちらに身を置くかは、とても重要な分岐点になるでしょう。

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求められるタスクと知識を「重要性と緊急性のマトリックス」に書き出せば異動も引き継ぎも怖くない!

この時期、多くの企業や官公庁等で、人事異動により新しい仕事を担当する方もいらっしゃるかと思います。わたしの勤務校でもご多分に漏れず、事務職員の配置転換は4月に集中します。部署異動となった職員はもちろん、同じ部署に残留する職員においても、業務分担の変更くらいは起こりえるでしょう。

そのような状況下、新しい部署や担当業務に対してアタマをすぐに切り替えることができれば苦労は無いのですが、「いったい何をすればいいんだろう」と悩む同僚の姿をこれまで多く見てきました。
とりわけ企画系の部署ではその傾向が強いようで、現業部門から異動してきた人たちが口癖のようにボヤくのは、「ルーチン作業に追われていた方が気分的にラクだよ」というセリフです。とりあえず朝から晩まで手を動かしていれば、なんとなく働いた気になれるということなのでしょう。まあそれも一理ありますが。

わたし自身も民間企業、そして大学へと、さまざまな企画系部署を渡り歩いてきた身として、このような人事異動を何度も経験しました。もちろんビジネスパーソンとしてのベーシックスキルは共通ですから、それまでに蓄積した知識や経験が生きないということはありませんが、基本的に異動直後はゼロベースでのスタートとなります(特に転勤が伴う場合は人脈もゼロクリアとなるのでキツいものがあります)。

異動に際して生じる問題をひとことで言ってしまうと、「ミッションは分かっているけど前提となる知識が膨大すぎる」ということに尽きます。営業担当であれば商品カタログを頭に叩きこまねばなりませんし、顧客カウンターの窓口業務であればマニュアルやQA集を片時も手放せないでしょう。
さらに企画系部署においては、必要とされる知識は無尽蔵であり、少なくとも過去2年分の検討経過くらいはフォローしておかないと仕事に合流できません。「いったい何から手を付ければ・・・」という不安感や焦りから毎日遅くまで残業した経験が自分自身にもありますが、そういう努力はあまり実を結びませんね。地図を持たずに歩いているようなものですから、当然と言えば当然ですが。

そこで、このような異動や引き継ぎに際しての、わたしなりのノウハウをご紹介したいと思います。(ようやく本題です、前置きが長くてすみません)

求められるタスクと知識を「重要性と緊急性のマトリックス」に書き出す

スティーブン・コヴィーの「7つの習慣」を読んだことのある方なら、「重要性と緊急性のマトリックス」についてご存知かと思います。わたしはフランクリン・プランナーの使用者でもなければ、コヴィー氏に心酔しているわけでもありませんが、異動や引き継ぎに際しては極めて有効に機能すると考えています。

「重要性と緊急性のマトリックス」のイメージは下図のとおりです。

matrix4

非常にシンプルな考え方なので説明の必要は無いと思いますが、基本的にすべての仕事はこのマトリックスにマッピングが可能です。重要性と緊急性をタスクごとに評価することで、優先順位を視覚化することが可能となります。(ちなみに、上記の4分類の中で、もっとも注意を払うべきは「重要性(高)、緊急性(低)」のゾーンだと言われています)

どの仕事から手を付ければ分からない・・・という人は、おそらく「緊急性」の評価ができていないことが問題の原因でしょう。ぜひとも上司や同僚の助言を受けながら、上記のマトリックスにタスクを整理してください。上司と部下とでは緊急性の認識が意外とズレていたりするものです。(上司と緊急性の認識がズレていると悲惨ですね。2週間後にはドヤされるでしょう。)

企画系部署にお勤めで、膨大な資料を前に途方に暮れている方もいらっしゃるでしょうが、どうぞ安心してください。当然ながら資料やデータも重要性と緊急性で分類可能です。タスクのマッピングが完了したら、タスクごとに必要な資料を上記の4分類に整理しましょう。そうすれば、資料を読むべき順番が明らかになります。目を通さなくても結果に影響しないのならば、読まないという判断も当然にアリです。

一方で、「重要性」の評価については、周囲の意見だけでなく、自分自身の考え方を大切にする必要があります。部署としての重要性と、自身のキャリアにおける重要性は必ずしも同一ではありませんから、両者は切り離して考えなければなりません。

上記のようにタスクや情報をマトリックスに落とし込むことができれば、進むべき進路が明確になりますし、その日一日をどのように過ごしてよいかという不安感からも開放されるでしょう。最後までお読みいただきありがとうございました。

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「いろいろ考えたんだけど」へのリツイートがけっこう多いことについての考察

ずいぶん以前に、ひろのぶbot氏のTwitterをリツイートしたところ、それに対するリツイートやお気に入りがけっこう多くて驚いています。主観的で感覚的な言葉なんだけど、妙に腑に落ちてしまう。そこが人の感性に訴えるのかもしれません。
せっかくなので、大学職員的な視点から、身の回りの出来事に対して「いろいろ考えたんだけど」を検証してみたいと思います。例によってご関心があれば続きをご覧あれ。

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効率よく仕事をしたければ、「やり残して」帰りなさい

連日連夜のように残業が続く、有給休暇を取るなど夢のまた夢・・・というビジネスパーソンの嘆き節をよく耳にします。完全に業務量がオーバーフローを起こしているような勤務環境ではお手上げかもしれませんが、日常の行動や心構えを少し変えるだけで劇的に状況が変わるかもしれません。

「区切りのいいところまで終えてから帰る」という考えを改める

仕事に対して責任感の強い方や、仕事のダンドリに関する意識が高い方にありがちな習慣だと思いますが、「区切りのいいところまで仕事を終えてから帰宅する」という考え方を改めましょう。

明日でも構わないメールの返信を送ったり、あと少しだから資料を作り終えてから帰ろうとか、日常のワークシーンではありがちな働き方だと思いますが、こうした仕事の「やり残し」を片付けるために30分や1時間は過ぎていってしまいます。
さらに、そうこうしている間にも、明日でも構わない用件で電話が鳴り、上司や同僚から声がかかり、それらの用件を処理してから帰ろうと、際限なく残業時間が伸びていきます。こうなると2時間や3時間の残業ではおさまらなくなるでしょう。
各々が「区切りのいいところまで」働こうとするあまり、お互いの仕事を増やしてしまうのです。

こうした悪循環から抜け出すためには、「区切りのいいところまで働く」という考え方を変えなければいけません。
そもそも、わたしたちが生きている「時間」というものに区切りなどありません。今日も明日も1年後も、時間は永遠につながっています。今日と明日の間に「区切り」を作ろうという考え方は、とても非科学的であり、不自然な発想なのです。
どうせなら「区切り」など考えず、徹夜で思いつく限りの仕事を終わらせてしまい、次の日はオフにしてしまった方が、「区切り」のために毎日残業するよりも、よほど健全な働き方ではないかと思います。

仕事の「やり残し」が翌日の午前中を活性化させる

区切りのいいところまで仕事を片付けてから帰宅する理由は、翌日の朝を慌てずに迎えたいからでしょう。前日にあらかた仕事を片付けておけば、精神的に落ち着いた状態で、スムーズに次の仕事に着手することができます。一般的なダンドリ術においては、むしろ推奨されているノウハウの一つだと思われます。

そのような働き方に真っ向から反対するつもりはありませんが、一つだけ「思わぬ盲点」があることにお気付きいただきたいと思います。

『前日に仕事が片付きすぎてしまうと、翌日がスロースターターになってしまう。』

仕事の「やり残し」が無いことにより、落ち着いた気持ちで翌日の仕事に着手できる、それは大変に結構なことです。しかし、逆の言い方をするならば、翌日は5割とか6割の力で走れてしまう状況になります。どれだけマジメな人であっても、焦っていなければ全力疾走はできません。
集中力が落ちた夕刻以降に残業し、脳の機能が最も高まる午前中をスローペースで過ごすわけですから、これが事実ならば非常に皮肉なことです。

一方で前日に仕事をやり残して帰宅した人は、朝から120%の猛ダッシュで突っ走ります。のんびりとメールに目を通したり、コーヒーやタバコで一息つくようなこともなく、黙々と仕事を片付けます。そうこうしているうちに、前を歩いていた残業集団に追いついてしまうことでしょう。仕事の「やり残し」が翌日の午前中を活発化させるための起爆剤になるわけです。

まるで皮肉なウサギとカメのようなストーリーですが、わたしは誰もが賢く幸せなカメになれればと願っています。しかし、現実には難しい問題があり、その最たるものが「夕刻以降の打ち合わせ」です。個人ワークであれば集中力とスピードをMAXにして追いつくことが可能ですが、自分が知らないところで話が進められてしまうとお手上げです。打ち合わせはコアタイムに集中させる、これが時間を自らコントロールするための第一歩であると思います。

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大学職員の仕事は楽勝だというイメージへの私なりの解釈(後編)

「大学職員の仕事は楽勝だ」という世間的なイメージに対して、前編では客観的要素(すなわち、仕事そのものの難易度)からアプローチを試みました。仕事そのものの難易度は個々人がどのような目標を立てるかで決定されるものであり、大学職員という職種を一括りにして難易度の高い低いを語れるものではない、結論としてそのようなことを述べました。
後編では、前編で述べた客観的要素と対をなす観点として、主観的要素(すなわち、仕事を通じてもたらされる精神的負担)から大学職員の実像を語ることができればと思います。以下本文となります。


次に、仕事の大変さを構成する2つ目の要素として、仕事を通じてもたらされる精神的負担(ストレス)について着目していきますが、こちらも民間企業と全く事情は変わりません。
仕事のストレスというものは、ほぼ100%と言ってもよいほど、直接の上司や同僚との人間関係に起因します。どんなに仕事の目標を高く設定したとしても、目標そのものに苦痛を感じることはありません。その目標を達成できなかったときの上司の顔が目に浮かぶからストレスになるのです。アドラー心理学では「人間の悩みの全ては人間関係が原因である」とさえ言っています(ちなみに、有名な「7つの習慣」もアドラー心理学の応用です)。もしも目標未達成を笑って許してくれる上司ならば、営業成績が日照り続きでもストレスになどなりません。

このように仕事のストレスは人間関係が原因であるという点に着目すれば、民間企業と比べて大学職員はストレスが少ないという根拠など何もありません。むしろ学校という組織はハラスメントの温床だとすら私は思っています。
山形大学の調査によれば、我が国の大学の7割は単一キャンパスで運営を行っており、また、複数キャンパスを持つ大学においても法人機能は本部キャンパスに集中します。さらに、大学事務局の組織規模はかなり知名度の高い大学であってもせいぜい300~400名程度であるため、人材育成目的で計画的に部署をローテーションさせることが行いづらく、同じ部署に縛られ続ける職員も珍しくありません。これが何を意味するかと言えば、大学職員の離職率の低さも相まって、閉塞的な環境下で固定的な人間関係が長期間にわたって継続するということです。このような環境下で上司や同僚からのハラスメントを受けることになろうものなら、もはや退職か休職以外に逃げ道などありません。大企業が広い檻ならば、大学職員は非常に狭い檻なのです。
さらに、同じ事務職員である上司や同僚との人間関係に加え、教員や学生、場合によっては保護者も含め、利害関係の調整弁として板挟みになることも珍しくありません(代理戦争の最前線に立たされるような感覚です)。

前述した仕事そのものの難易度については目標設定を見直すことでコントロール可能ですが、人間関係にまつわるトラブルは自分だけの問題ではありませんから、こちらの方がむしろ厄介な問題かと思います。
こうしたストレスを抱えないために大切なことは、結局のところ自分の立場は自分で守るということであり、言い換えれば、「攻めの人間関係」を築けるか否かがポイントとなります。もちろん、「攻め」と言っても攻撃的になるということではなく、自分の立場を相手にも尊重してもらえるような人間関係を構築するという意味です。

本稿のタイトルに掲げる「大学職員の仕事は楽勝だというイメージへの私なりの解釈」をまとめますと、一本道のキャリアを登り続ける民間企業に比べれば、大学職員という仕事は私にとって楽(しい)であり、この仕事が大変だとか嫌だなどと思ったことは一度もありません。ただし、そこには易しいという意味での「楽」はありません。どんなに頭を使い、手を動かしても、大学という樹木はなかなか花を咲かせてくれません。「大学職員は楽勝だ」という感覚からは程遠い、それが私なりの解釈であることを書き留めておきたいと思います。

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