月別アーカイブ: 2015年11月

開成高校柳沢幸雄校長の「腑に落ちる」名言集

いまだ全容が見えてこない大学入試改革ですが、受け皿である大学業界はもちろん、中学・高等学校側でも不安感を募らせていることでしょう。現在の中一生から新試験へと切り替わることもあり、中二生も一浪すれば新試験を受けざるをえません(移行措置や救済措置があるかもしれませんが)。既存のカリキュラムをどのように修正すれば新試験に対応できるのか、学校・生徒・保護者の関心は極めて高いかと思われます。

国による教育政策の行方が流動的となっている状況下、高等学校の「横綱」は教育の本質をどのように考えているのでしょう。ネタ元は読売新聞に掲載された開成高校柳沢幸雄校長と灘高校の和田孫博校長の対談ですが、記事中の発言を引用しつつ、それに対する所感などを織り交ぜていきたいと思います。

柳沢 私はかつてハーバードや東大の大学院で教壇に立ち、現在は中高の校長を務めています。(中略)高校卒業段階では、日本の多くの若者がきわめてハイレベルだということです。ところが、大学入学後、成長が鈍化してしまうのです。いま何よりも求められるのは、大学卒業段階でさらに輝けるように、実社会と大学教育の連携を図ることです。

柳沢校長は元大学教員ということもあり、わりと積極的に表に出てくる先生。私立中高は基本的に生え抜きの先生を校長に昇格させる(和田校長も灘の教員出身)ものだが、受験戦争とは距離を置いた人を校長として招くあたり、開成中高の凄みというか余裕を感じる。
開成卒の人材を鈍化させてしまう大学教育も不健全だと思うが、やはり1学年400人の開成と、1学年3000人の東大とでは、教師の目配り・気配りに差が出るのだろうなと思う。
一方で、「高校卒業段階では日本の多くの若者がきわめてハイレベル」という指摘については、かなり局所的な見方であろうと思われる。中堅以下の大学では高校の補習授業のような講義やサポートを行っており、高校のカリキュラムを未消化の若者が大学になだれ込んできているのが現状だ。開成中高とは別次元の世界だが、誰でも卒業できる(卒業させる)初中等教育システムは、本腰を入れて見直さねばならないだろう。

- 知識の習得だけでなく、思考力、判断力、表現力などの養成を重視するという考え方についてはいかがですか?

柳沢 知識習得の比重を下げるのであれば、明らかな間違いです。知識をないがしろにして、思考力などが養われるはずがありません。

安倍政権による教育改革が急進的なのは、大学教育・大学入試が日本社会の長期低迷の一因だと考えられているからだろう。たしかに、入試当日の知識量を競わせる大学入試の在り方は滑稽だし、ポテンシャルの高い若者すらもスポイルしてしかねない悪慣行だと思う。
一方で柳沢校長の言うように、知識を踏まえない思考などそもそも存在しない。大学入試改革により知識偏重からの脱却を図るのはけっこうなことだが、知識を持つことへの意欲を削ぐようなものではあってほしくない。

柳沢 ゆとり教育の学習指導要領に移行した際、「知識の詰め込みでは想像力は育たない」という意見が数多く出されました。これは知識を表層的に捉えてしまったことによる誤解です。私は、知識には2段階あると考えています。第一は新しい知識を理解する段階、第二は獲得した知識を定着させる段階です。確かに、知識を詰め込んで理解する段階で終わってしまえば、指摘されるような問題が生じるでしょう。けれども、理解した知識を定着させれば活用できる知識になります。そして、活用できる知識を豊富に持つことによって、はじめて想像力が生まれるのです。知識の定着無くして何かを生み出すことはできません。

ゆとり教育の失敗は、教科書を薄くするだけの変更にとどまったことだろう。授業時間は各学年とも年間で70時間(週2時間)ほど減少した。柳沢校長の指摘にあるように、その70時間を知識を活用する時間に充てていれば、また違った結果につながったのかもしれない。
また、個人的な見解だけれども、そろそろ学習指導要領や単位制の強制を終わりにしてはどうだろうか。教育の最低水準を維持するという意味では不可欠であろうが、SGH(スーパーグローバルハイスクール)やバカロレアのような基準を設けることで、質の高い教育を提供する学校には教育内容を自主編成する裁量を与えられないものだろうか。

柳沢 保護者には、子離れを意識してほしいと思います。子供には親離れの本能が有りますが、親には子離れの本能はありません。それでは子供はいつまでも自立できません。困難を抱える生徒の多くが親子関係に起因しているのです。反抗期とは、本能で親離れしようとするものの、複雑な社会への不安感があり、その葛藤をぶつけやすい対象として親を選んでいる状態のことです。

親には子離れの本能がない、という指摘がとても腑に落ちる。実際のところ、「高校生は子供、大学生は自立」という考え方が日本社会では非常に根強く、子供に自立心の芽生えさせるタイミングが遅いように思う。
しかし、大学生となり束縛から開放するだけでは自立とは言えず、ただの自由放任状態にすぎない。大学生はようやく就職活動を通じて、一人で社会と向き合い、厳しい現実の中から生きる術を見つけていく。いまの日本では、就職活動は自立のための最高の教材とも言える。しかしこれでは遅すぎるので、中高の早い段階で「子離れ」するのが大事だと柳沢先生は言っておられるのだろう。

対談記事の中からごく一部のみ抜粋してきたが、やはり中高の先生の言説に触れると、彼らは生徒のことをよく見ていると思う。生徒の日常生活から進路のことまで、教師が全面的に関わっている。学生の自主性に委ねると言いつつ実際は放置しているだけの大学としては身につまされる思いになる。

次回もまたよろしくお願いします。

非ルーチンの仕事を任されたときに「まず」確認すること

定型業務が大部分を占める大学事務職員の仕事ですが、このように変化の大きい時代ですから、時として非ルーチンの仕事を上司から任されることがあります。
そのような場面において私自身が心掛けていることがあるのですが、他大学や民間企業でも活用できるスキルかと思いますのでご紹介いたします。

上司から非ルーチンの仕事を任されたときに「まず」確認しなければならないことは、その仕事における自身の裁量(権限)です。
具体的には、どの程度の費用をかけてよいか、どのレベルでの社内調整を進めてよいか、社外との折衝を行ってもよいか、そういうことを一つ一つ言質を取るつもりで詰めていきます。
例えば、上司からA商品を売ってこいと指示された場合、「どの程度の経費を認めてくれますか?」と確認しておけば、その経費を使って販促ツールや値引きなどの販売戦略が可能になるわけです。
もしも上司が権限移譲を渋るならば、「自分はあなたの補佐という立場でよろしいですね」と突っついてやればいいでしょう。

なぜ上司からの指示に際して自身の権限を確認しなければならないかというと、上司は部下に仕事を任せるとき、ノルマや期限などのオーダーを示すばかりで、部下に与える権限をはっきりさせないことがほとんどだからです。責任を押し付けつつ、権限は手元に置いておきたい、そのように言い換えてもいいでしょう。
しかしながら、当たり前のこととして権限と責任は不可分のものですから、権限を与えずに仕事を「任せる」ということは成立しません。仮に上司と部下の間に信頼関係があって、部下が上司の期待に応えようと努力しても、権限が与えられない限り、補佐(サポート)の域を出ないはずです。それでは部下の成長にもつながりません。

重要なことは、上記のような権限の確認は、仕事を引き受ける際に確認しておかなければならないということです。その都度その都度のタイミングで確認していくのは、あまり得策ではありません。途中で権限を与えてくれと要求するのは、仕事の受注額を引き上げるようなものだからです。
指示に際して権限の有無を確認することで、上司にとっても「自分の指示は本当に的確なのか、自分だったら引き受けられるのか」ということを考えるきっかけにもなるでしょう。チームとして成果を出していくためには、そのようなコミュニケーションは非常に大切です。これこそ本当の「コミュ力」だと私は考えます。

よく昔のテレビドラマなどで、「売れるまで帰ってくるな」と怒鳴る上司がいましたが、そのような指示は仕事を任せたとは言えず、結局のところ自分が売れない腹いせを部下にぶつけているだけにすぎません。そのような加害者・被害者にならないためにも、仕事における権限の重要性をよく考えるべきだと思います。

大学ポートレートに関する現場のボヤキ

先日、ツイッターでフォローさせていただいている@toaruunivさんが以下のようなツイートをされており、やっぱり現場の感覚として大学ポートレートはお役所仕事の典型的な失敗例なのだろうなと消沈しました。大学外の方にとって、そもそも「大学ポートレート」というものが初耳かと思われますので、そのあたりの基本的な説明を交えつつボヤいていきたいと思います。

そもそも「大学ポートレート」とは何なのかということですが、簡単に言ってしまえば「官製の大学情報サイト」なのですが、なぜ親方日の丸でそんなものを作ったかのか、その背景と目的は以下のとおりです。

文部科学省が設置した「大学における教育情報の活用支援と公表の促進に関する協力者会議」は 2011年 8 月に発表した「中間まとめ」で、「データベースを用いた教育情報の活用・公表のための共通的な仕組みの構築」を提言した。それを受けて、「大学ポートレート準備委員会(以下、準備委員会)」を発足し、検討を重ね、2012年11月に大学ポートレートの概要が固まった。学校教育法施行規則の一部改定により、2011年 4 月から基本的な教育情報の公表が具体的に義務付けられたが、大学により公表方法はさまざまであり、簡単に確認できない状況にとどまっていることが背景にある。大学ポートレートへの参加は任意だが、実際にはほとんどの大学が参加するものとみられている。(Between 2013年2-3月号)

上記のような経緯で2つの大学ポートレートが作られました。リンクを貼っておきますので、ぜひ現物をご覧ください。

大学ポートレート
http://top.univ-info.niad.ac.jp/
大学ポートレート(私学版)
http://up-j.shigaku.go.jp/

なぜ2つの大学ポートレートができたかというと、国公立大学版は独立行政法人大学評価・学位授与機構が運営し、私立大学版は日本私立学校振興・共済事業団が運営しているためです。1つ目のURLは一見すると国公私立大学を串刺し検索できるように見えますが、私立大学については2つ目のURLに飛ばされる仕組みです。

同じ名称のサイトを2つの団体が別々に運営し、URLすら異なるのですから、こんな馬鹿げたことはありません。利用者が混乱することはもちろん、Webサイトの開発運営費も別々にかかっているものと思われます。せめてURLだけでも統一すれば検索エンジンでの検索結果が一本化されるはずですが、そのような事前調整もできなかったようです。
しかも推奨ブラウザがGoogle Chromeということでスマホにでも最適化しているのかと思いきや、iPhone版のChromeアプリでサイトを開いてみると、案の定、以下のような画面が表示されました。もうツッコミどころが満載なのです。

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粗雑な仕事はWebサイトの作り込みだけではありません。大学ポートレートに掲載されている情報自体も非常にお粗末なものです。
下の画像は早稲田大学の大学ポートレート(「本学の学び」ページ)です。早稲田大学のWebサイトへのリンクが2つ貼られているだけで、その他の情報は一切ありません。早稲田大学は情報公開に非常に積極的な大学ですが、大学ポートレートに関しては露骨に手を抜いているのが分かります。
2015年5月に調べた時点では早稲田大学は大学ポートレートに参加していなかったのですが、大学ポートレートへの参加が2015年から経常費補助金の対象になったので、嫌々ながら情報をアップしたのかもしれません。あるいは運営元の私学事業団に「何でもいいから載せてくれ」と泣きつかれたのかもしれません。

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このようにお粗末極まりない運営及び内容ですから、「大学ポートレート」の利用状況も推して知るべしです。以下の数表は大学評価・学位授与機構が公開した2015年3月時点でのアクセス実績です。
数字が見えづらいかもしれませんが、なんとトップページへの1日平均アクセス数が543件という惨憺たる状況です。この数字には大学関係者が更新作業等のためにアクセスした件数も含まれていると思われ、一般利用者はほぼ存在しないと考えて差し支え無いでしょう。
大学側にとっては、自大学のWebサイトの更新と大学ポートレートの更新は完全な2度手間であり、こんな作業のために労力を割くのは本当にやりきれない思いです。

このような大学ポートレートの状況を踏まえると、冒頭のツイートで引用した理事長殿の発言が、現場の感覚としていかに噴飯物か、ご理解いただけるのではないかと思っております。

大学職員を思考停止させる「危機感」という幻想

昨今、学内外を問わず、大学業界では「危機感」という言葉が多用されています。業界雑誌を見ても「危機感」、説明会やセミナーでも挨拶代わりに「危機感」、大学のお偉方も口を開けば「危機感」、まるで大学業界全体で「危機感キャンペーン」でも展開しているのではないかと思うほどです。

しかしながら、この「危機感」という言葉について、どのような危機なのか?という問いを投げかけると、口ごもってしまう大学関係者も多いのではないかと思うのです。危機感という言葉は多用するけれども、危機の中身について具体的に考えたことはない。せいぜい2018年問題による少子化で学生が集まらず大学の経営が危機に陥るとか、その程度の回答が精一杯ではないかと思うのです。大学の大衆化により学生の質が下がって教育の質が落ちる、という議論を持ち出す人もいるでしょうが、結局のところ定員を埋めるために入学水準を引き下げた結果にすぎません。

少子化が大学経営に与える影響はもちろん少なくはありませんし、それにより経営が傾く大学も増えてくるのではないかと思いますが、それが「危機」だとしたら、いったい誰にとっての危機なのでしょうか。自力で学生を集められないような大学が淘汰されることもなく国民の負担によって存続する、そちらの方がよほど危機的状況だと言えるのではないでしょうか。

下のグラフは平成元年以降の大学数の推移です。平成元年に499校だった大学数が、平成27年には779校にまで増加しています。なんとこの30年弱の期間に、280校も大学が増えているのです。

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これだけ大学が増え続けたにも関わらず、私個人の肌感覚として、日本の教育水準が上がったとも思いませんし、大卒者に相応しい仕事や産業が新たに生まれたとも思いません。かえって大学生の学力低下の方が国民の耳目を集めているのではないでしょうか。

さて、話を元に戻します。「危機感」という言葉が闇雲に使われることの問題点は、現場の教職員が思考停止に陥り、学生確保のためにマーケティングを駆使し、受験生の奪い合いに没頭することです。本来は学生の教育に充てられるべき資金が、宣伝広告費として新聞広告や駅張りのポスターに使われます。夏の恒例行事となったオープンキャンパスにも、広告費を含めて多額の資金が支出されます。言うまでもなく、このような間違った「危機感」は、誰のためにもなりません。

先んじて危機感を持つことは大切なことではありますが、「危機感キャンペーン」に翻弄されて危機の中身に対して思考停止に陥ってしまっては、それがかえって新たな危機を生むのではないか、そうことを考えています。

大学職員の雇用条件《実労働時間》

就職活動や転職活動をする際、労働者としての立場で非常に重要なのが始業・終業時刻及び実労働時間です。9時始業・18時終業という就業条件ならば、そこから昼休み1時間を引いた8時間を実労働時間となります。
ちなみに労働基準法では週40時間を超える労働が禁じられており、週5日で割り算すると1日あたり8時間。すなわち、9時始業・18時終業というのは、法令上のギリギリラインと言えます。
そこで今回のテーマは大学職員の実労働時間。各大学が定めている始業・終業時刻から、実労働時間をリサーチしてみましたのでご紹介します。例によってご関心があれば続きをお読みあれ。

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